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エンジニアとしての30年


無我夢中

社会人1年生。不安なことも多かったけれど、子供の頃から憧れていたコンピュータの世界。ソフト開発にも色々あって、自分が何をしたいのかも理解していないまま、エンジニアとしてスタートをしました。
次々と新しい仕事が来て、そのたびに、新しい技術、新しい業種を経験する。プロジェクト毎に異なる環境も新鮮で、対応していくことに無我夢中でした。
徹夜、徹夜の連続で、汎用機のプリンタの裏に段ボールをひいて寝たり、椅子を4つ並べて寝たりもしました。
毎日が充実していて、自分の知識と経験がどんどん増えていくことがとても楽しかったです。


燃え尽きる

7年間、全力疾走をし続けた結果、疲れ果てて燃え尽きてしまった。
と、感じました。
コンピュータが嫌になったわけではないけれど、集中できない。
気力がわかない。。。 こんなはずじゃなかったのに。。。
フリーエンジニアになり、生活に必要な最低限の量だけ仕事をする。
あとはプラモデルを作ったり、TVゲームをしたり、好きなことだけをして過ごしました。
そんな生活を3年近くおくったある日、突然「何やっているんだろう?!」と我に返り、現実の世界に戻ってくることができました。


兎の登り坂

30才で会社を設立。再び、コンピュータのシステム開発に没頭。
20代で得た技術、経験、人脈をベースに、ひとりで頑張るのではなく、 チームで対応することを心がけるようにしました。
でも生活は相変わらず不規則で、徹夜してなんとか間に合わせるのは当たり前の状態。
あまり成長していなかったかとも思いますが充実した毎日を取り戻せたことは、喜びでした。
管理職に専念する覚悟はなく、システムが本稼働を迎えたときの達成感、感動、やりがいをずっと感じることができるエンジニアでいたかった。
管理職や営業職に専念して、会社を拡大するというイメージは、どうしてもできませんでした。


停滞と悲嘆

40代に入り、段々と体力の衰えを感じ始めました。
エンジニアの寿命が短いことは知識として理解しているけれど、 なかなか受け入れるのが辛い事実です。
徹夜をしても集中力が続かず。。。
運動会で前のめりに倒れてしまうお父さんと同じで、この速度で走れたはずなのに走れなかった。ということが起きるようになりました。
それなのに開発現場への強い執着を捨てられず、この先どうしていこうかと思い悩む日々。

更に愛猫の死でペットロスとなり、悲嘆から抜けられなくなってしまいました。


心理学との出会い

自分が不安定だったこと、同業者の中に不安定な人が多いことなどの 事情があったため、心理学に目が向いたのかと思います。
勉強をはじめて見ると、「目からウロコがポロポロ」という感じで、 癒されながら勉強できたことで、自分自身も安定できるようになり またソフト開発のお仕事に集中できるようになりました。

心の勉強はとても有意義で、同世代のエンジニアが私と同じような問題に 直面するのであれば、そこから抜け出せるお手伝いを是非してみたい。
と思うようになり、新たなポジションでIT業界に貢献できるような方法を 模索するようになりました。


新たなる道

プロフェッショナル心理カウンセラーという資格ができ、取得出来たことで、 カウンセリングルームをつくることに踏み込む決心をしました。
心の問題だけでなく、体の健康を学ぶため、健康管理士一般指導員の 勉強もはじめ、心と体の両面について、ご相談にのれる知識を獲得しました。

まずは同業者のエンジニアを対象に、カウンセリングをはじめています。 コミュニケーションが得意とは言えず、ストレスやプレッシャーの強い環境 にいるエンジニアが、できるだけ辛い思いを軽減し、病気になることなく 過ごしていけるようお手伝いができればうれしいです。


エンジニアの方へ


ソフト開発をしてきた業種

運輸業、流通業、製造業、建設業、公共機関、官庁、医療  の各業界で、システム開発をしてきました。


プログラミングで使用した言語

COBOL、assembler、BASIC、LISP、HPL、FORTRAN、C、Visual Basic、Java、Visual C 等の言語を使用し、 制御系システム、オフコンの業務アプリ、人工知能による法律解析、画像管理、汎用機、オープン系のシステムを開発してきました。